萩盃

銘 桜坂

幕末〜明治頃

 高台脇に押印(丸に「陶」)。しかしわかりません。萩ですから煎茶碗の生まれとしておくのが妥当でしょうか。胴部の鎬が効いています。ご覧の通りの大侘びの景です。

 私の通っていた高校は丘の上にあり、遅刻しそうなとき坂がきつかった。太い桜がその坂道にたくさん植わっていて、入学式の頃道は桜の花弁でいっぱいになる。風が吹くと花弁が吹雪のように舞い上がり、何とも美しかった。やがて雨が降ったりすると、ピンク色の花弁は踏まれて土と混ざって、やがて赤茶色の水となって路傍に浸みていく。坂道全体がほんのりと赤みを帯びて見える。

 桜の木の下には屍体が埋まっていると梶井基次郎は言った。屍体のエキスを存分に吸い込んだ花弁は、今また土に溶けていくのだ。そして初夏にむかい、路傍の草々はますます青くなっていく。彼の名文に触れてから、ますます桜を美しいと感じるようになった。それは死を、はじめて心底美しいと感じることができたときだった。

 大学三年の春、先輩が亡くなったときも、キャンパスの桜が咲き誇っていた。葬式がすんでしばらくして、見る影もなく茶色くなってコンクリートの路傍に溜まった花弁に気付いたとき、昔の記憶をふっと思い出して、ようやく違う涙が流れたのを感じた。先輩のことは、本当に楽しい思い出しか浮かんできません。