黒唐津

江戸時代初期

 戦前の沖縄(琉球)出土品である。沖縄からは大量の初期伊万里に加え、古唐津も数多く出土している。板おこしの、典型的な藤の川内の小徳利・・・だと思うのだが・・・底をみると丸十が陽刻されている。十というのはよくあるのだが、この丸十は珍しいと思う。丸に十の字といえば、思い浮かぶのは薩摩島津氏の家紋。この家紋も、鎌倉時代には外郭の丸はなく、「十」だけであったという。徳川期になって礼装用の紋に転化し、多くの武家が外郭に丸を付けるようになり、島津氏もこれにならい以後、定着したと言われている。島津の家紋と一口にいってもいろいろなものがあるようだが、この丸十は宗家の家紋のように見えるのだが・・・。

 琉球と薩摩の間には盛んな公益があった。現在の沖縄県庁あたりにあった湧田窯は、沖縄で初めて施釉陶器(上焼)を焼いた窯と言われる。その開窯は17世紀初頭とされ、薩摩から朝鮮人の陶工、一六・一官・三官のの3名を招聘し製陶の指導と作陶に従事させたという記録がある。一方で薩摩焼は1595年(もしくは1598年)、18代藩主島津義弘が朝鮮から連れ帰った陶工によって築窯されている。島津家お抱えの朝鮮人陶工が琉球に派遣された可能性もある。

 お見せしたどの方もみな古唐津と仰有るので唐津としたが、そんな時代の薩摩か湧田焼の可能性もあると思いながら、泡盛をこれに酌んでいる。