くらわんか手染付盃(紅皿の見立て)

江戸時代後期

 

 大阪の淀川を行き交う三十石船に小舟で横付けし、「酒喰らわんか、飯喰らわんか」と悪口雑言をなげかけて酒や食べ物などを売る“くらわんか舟”があった。船上で使っていた酒や食べ物を入れる雑器は厚手で重い頑丈なもので、これらは江戸時代後期(1700年以後)に長崎の波佐見などで焼かれたと言われている。図柄は簡素で釉はほとんどが生がけであり、とろりとした味わいが最近人気を集めている。

 先日大阪枚方市の鍵屋資料館に行って来た。入館料はなんと200円。しかし大変充実した資料館で、勢いのいい当時の宿場の様子を伺い知ることができる。またくらわんか雑器は勿論のこと、数多くの陶磁器が出土していて、たくさんの陶片を見ることもできる。この辺一帯の淀川べりでは、戦後くらいまでは台風などの後、たくさんの伊万里の雑器が流れ着いているのを見ることができたという。三十石船やくらわんか舟が転覆したり、あるいは酔った客が雑器を舟から投げて遊んだりしたこともあったのだろう。

 これは紅を溶かすための小皿(小猪口)で、紅皿とか紅猪口などと言われる類の物。大きさといい形といい今では酒盃にちょうど良いが、見込みにふりものがあっても全然気にしていないのは食器ではないせいもあるのだろう。どろっとした生がけの釉景色から初期伊万里と言われ売られていることも多い。初期だろうと後期だろうと、酒のうまさにはあまり関係ないが。