粉引徳利 

朝鮮王朝時代

 憧れだった李朝粉引徳利。土臭と土さびが結構すごかった発掘品。油の臭いがしなかったのは良かったが、高台が3/4近く割れて漏ってしまうという状態だった。私が下手な直しをしているが、熱燗がつけられないのが玉に傷。口周りに小さい釉のかけはずしがある。グレーがかった黒い胎土である。形が少し弱いが、使い込むことで増す粉引の味わいはなかなかで、なかなか手放す気にはなれない。

 酒を酌みながら、祈りとは何だろうかと思ったりする。また今日の晩酌にありつけた幸せを噛みしめたりもする。

 ふと、「あやめ生ひけり軒の鰯のされかうべ(芭蕉)」この句に接した高校の頃を思い出す。あやめを葺く五月。民家の軒にはアヤメが挿してあって、その隣には、この春の節分に挿した鰯の頭がもはや髑髏のように白骨になっていたという句だが、元は小野小町の髑髏の、目のところからススキが生い出でて、それが秋風にひゅーひゅーとそよいでいたという謡曲「通小町」からのいわば本歌取りで、ススキをアヤメに、小町を鰯にかえて詠んでいるパロディだというのが通説である。しかしそんなことは知らない私は、アヤメは殺めるに通じ、しかもアヤメの紫色は崇高でいて死を表す色だし、また魚偏に弱いと書き、腐りやすい鰯ははかなき生命の象徴なのだ、などと勝手に解釈し、何気ない風情を鋭く切り取って、生きること、殺めること、老いること、そんな常世のはかなさをストレートに詠んだまことに美しい句だなぁと感じ入っていたものだ。

 かなり酒を吸わせたせいでだいぶ育ってきた。自分が死ぬまでの間、どんな変化を見せてくれるだろうか。