喜名徳利 

沖縄、読谷村出土 江戸時代(17世紀後半)

 沖縄の焼き物は渡来のルートや流通、技法、琉球王府による統合とその後の変遷など不明な点が多い。喜名焼は壷屋焼きの起源に位置づけられ、甕(かめ)から油壺まで大小さまざまな製品があり、つやを出す固い焼き締めが特徴。読谷山が南蛮貿易の始まりとされ、喜名焼がシャム南蛮の酒壺に似ていることから、泡盛とともに東南アジアから伝わったとの説がある。1682年に首里王府によって陶工が那覇市の壺屋に集められたという記録があり、喜名焼も知花焼等と同じく、このときに壺屋焼として統合されたのではないかと考えられている。1992年の発掘調査の際には物原が見つかったものの窯跡がわからず、「幻の窯」と呼ばれていたが、ついに2003年5月、読谷村の住宅街で大変保存状態の良い窯跡三基と物原が見つかった。今後の研究が待たれる。

 堅くよく焼けて艶々した焼肌とがりっとした質感が壷屋統合前の喜名焼の特徴。備前よりずっと無骨で、凄味すら感じさせる徳利。私のところにくるまで、どれだけの泡盛を吸ってきたのだろうか。高さ13.5cm、この手にしては珍しく、独酌に丁度良いサイズなのが嬉しい。