堤焼ぐいのみ(仙台)乾馬窯 針生乾馬作

 堤焼の開窯は360年前。仙台の青葉区堤町から東側の杉山台(現在の台原)に産する陶土を使ったことから,別名「杉山焼」とも言われ,乾山風の作調が特徴といわれている。幕末には庄子乾馬という名陶工を生んだ。日常雑器含め、あらゆるものを焼いていたようだ。

 堤焼は民芸運動の創始者柳宗悦によって評価されて有名になった。「鉄釉に海鼠の色が流れ出したものは多彩で見ごたえがある(陸前の堤)」。しかし民芸ブームの起こった1970年代には、堤町には既に文明化の波が押し寄せ、ほとんどの窯は火を消してしまっていた。売れ筋だった土管は塩化ビニル管に市場を奪われ、雑器の類も「都市生活」の象徴であるプラスチックに取って代わられようとしていた。さらに、堤焼の歴史を知らない新住民は登窯から出る煙を「公害」にしてしまったのだった。

 現在では「堤人形」がその名残をとどめている程度だという。かつて伊達藩ご用窯を勤めた針生家は泉区に移転し、(株)堤焼乾馬窯として、乾馬、久馬、和馬父子三人で陶芸品を焼いている。

 仙台には学会で訪れたが、とても綺麗で優しい街だった。牛タンが本当に美味で酒もうまい。堤町には行けなかった。この作品は譲っていただいた物で、これも作家F氏旧蔵品である。萩焼のような白釉がやわらかく厚くかかり、見込みはまるで濃厚なクリームが溜まっているかのような感じ。高台に「乾馬」銘があり、堤焼とわかったが、資料がないので何代目の作品か判らない(いずれupします)。このぐいのみのおかげで堤焼の歴史の一端を知ることができた。今度仙台に行く機会があったら、堤町にも、そしてもちろん乾馬窯も、是非訊ねてみたい。